大学二年生の秋、一人暮らしをしていた阿佐ヶ谷のアパートを出て、駒場キャンパスの敷地内にある駒場寮に引っ越すことに。
自分は思い立ったら吉日的な性分があって、大学二年生、1997年の10月頃、駒場寮、通称、駒寮(こまりょう)に住もうと思い立ってしまった。
駒寮に住もうという奇特な人間は少なく、部屋は空いていて、記憶が無いけどたぶん寮の中にある管理人室的な詰所に行って、すぐに入居する事に。
入居したのは11月だったと思う。
まず一人で住み始めたんだけど、その後、サッカーサークルで出会った、当時狛江で一人暮らしをしていた理ⅠのS君も一緒に住むことに。
ワンルームでの二人暮らしが始まった。
写真をよく見ると、左にベッドがあって、真ん中には布団が敷いてある。
Sバタ君は布団派だったのだ。
自分はベット。上京した時に買ったSANYOのit’sシリーズのパイプベットですな。
この、自分がちょっと上にいて、その下にSバタ君がいるっていう画が、当時を象徴しているのである。
彼は受験で前期では落ち、後期で物理と数学だけで入ってきた、天才。
東大は一学年で3000人いるけど、大学在学中に天才だと思ったのは彼ともう一人、二人だけ。社会人になってから一人出会ったので、3人。
東大卒とよくひとくくりにされるけど、ほとんどの人は一般人で、天才は自分のごく個人的な体験によると1000人に一人。0.1%。
そんな感じで彼の事を尊敬していたのだが、一方でまあ強いて言えば「東大生に見えないね」と言われがちなちゃらい自分を彼はスクールカーストで言う最上位の三角形にいる人物的な風に見ていて、その(当時の)関係性が寝床(ねどこ)の物理的な高さで表現されていたのだった。
(続く)