ミャンマーで父が急逝

2006年1月、ミャンマーの日本大使館から三軒茶屋の自宅に突然電話がかかってきて、あなたのお父さんと思われる人が病院で亡くなっているから、確認に来て欲しいと。

父は自分が大学に入学するタイミングで自営業の会社をたたんでセミリアイアし、海外を放浪して暮らしていた。

以前、チベット辺りのレーという標高が高い所で高山病にかかり、命からがら帰国して来た事もあったので、電話を受けた時、正直、そこまで驚きもなく、そういう時が来たか、と思った。

東京のミャンマー大使館にビザの申請をして、当時勤めていた会社に事情を説明して、兄と一緒に二人でミャンマーへ。

サイゴンに到着すると、領事館勤務の日本人の方が迎えてくれて、やっと来たね、じゃあ行こう、という感じで、そのまま車に乗ってひたすら一本道を5〜6時間程、ミャンマーの内陸部に向かって走る。

ピイという村に到着すると、病院に案内され、ひさしぶりに父との対面。

確かに父である事を確認しつつ、この時に頭の中で考えていたのは、こうやって息子たちをこんな所まで呼び出して、見知らぬ大勢のミャンマー人に見守られて、父らしい最期を全うしたんだな、、と

領事の方から説明を受けた所によると、ミャンマーは敬虔な仏教徒だから、常に徳を積める機会を探している、それで、日本から来たお客さんが亡くなったのだから、みんなでおもてなしをしよう、という流れになっているらしい。

写真を撮っておけばよかったんだけど、遺留品の中にタイで偽造した学生証があって、おそらく各所で学割的なメリットを受けるために作ったと思われるんだけど、それを見た現地の人たちは、大学教授が研究でここに訪れていたのだと勘違いしていた。(直接、Youの父は何の研究をしていたんだ?と訪ねて来た人には、いやいや、、と事情を説明した)

現地式で火葬をし、骨を拾う。

父の所有していた現金はすべて寄付してきたので、最後に、村役場に一つだけあるプリンターで、表彰状を作ってもらった。

父は自分が物心ついた頃には、かなり寡黙な人間だったので、あまり話を聞くこともなかったのだけれど、泊まっていた宿の近くに流れていた川の風景が、なぜかその時は岐阜市の長良川のように僕には見えて、だからここにしばらく滞在していたのかな、と思った。

3回目の就職活動、おしまい。

自由人生活も、なぜか毎日充実している。

金曜日。午前中銀座でリクルートの面接。午後から六本木ヒルズでサイバードの年俸面談。
ぼちぼち決断の時期で、、悩ましすぎて、、、
夜、ひさびさオーコーチと会ってから、
オーコーチのゴチで夜中にタクシー拾って、
代田橋の「てっぺい」で飲んで、
結構酔っ払ってくだを巻く。

土曜日、ビデオチャット制作のアルバイトをすることになって、
池袋で打ち合わせ。
1年ぶりにシステム系触り初めたけど、結構たのしい。

夜、ネコの世話のためしばた家に帰宅。
鍋を囲みながら、はやしくんたちと「なぞなぞ大会」
オーコーチも途中から合流して、
みんなやたらテンション上がって、3時ごろ寝た。

日曜日。昼からつじはたくんとかとフランス料理を食べるってことで、
渋谷の東邦生命ビル32階へ。
めちゃめちゃ見晴らしが良くて、それぞれの会社のビルを見ながら、
つじはた君のスゴ話を色々と聞く。

パルコでフラボワとマリテフランソワジルボーの服を見て、ビックカメラでCamを買って、
おしゃれカフェでバナナカフェオレを飲んで、
東松原戻って、うまいラーメン食べて、
夜、情熱大陸で松井証券の社長の話を見て、かっこえーと思って、
少し仕事して、寝た。

月曜日。朝7時にしばたが帰ってきて、
軽く紅茶とか飲んでから帰る。
昼、リクルートに断りの電話を入れる。
何かを断るってことは、一つの可能性を切ることで、、、とても悩ましい。
んでその後、サイバードに「入社しますんで」と電話。
どうしても残る「これで良かったんだろうか?」感。
まあ、自分の中には一応仕事人生のマニフェストみたいなもんがあるので、
その軸で判断していればOKかと。
3回目の就職活動、おしまい。

男なら東大を目指せ

「男なら東大を目指せ」

岐阜高校で毎年配布される「合格体験記」。

どんな参考書を使って勉強したか、そんなノウハウを後輩に伝えるための冊子。

高校3年生の春、パラパラとその冊子をめくって、目に止まったタイトルが「男なら東大を目指せ」。

成績がさほど悪くもなかった自分は、とにかく東京に行きたくて、親孝行のためできれば国公立の東京の大学、というと、一橋かな、でも早稲田慶応でもなんだかんだ行かせてくれるんだろうな、というくらいに自分の進路をぼんやり考えていた。

そんななかで目に飛び込んできた「男なら東大を目指せ」というフレーズ。

その時初めて、そういえば、目指した事もなかったな、と、素朴に思ったのだった。

6月にサッカー部を引退して、これまでいつも勉強する時間が足りないという気持ちさいなまれていたんだけど、ようやく心置き無く勉強できると。

それで、夏休みが終わった9月に、第一志望を東大に設定して勉強することに。

過去問を解いてみると、くしくも東京大学物語という漫画で水野遥が言っていた「東大の問題って面白い」と思ったのだった。そして、今はE判定だけど、なんとなく、受かる気がするなと。

部活を引退してから、63くらいだった偏差値もどんどん伸びて、12月には偏差値83。東大オープンという模試でA判定にもなった。

年が明け、センター試験が終わり、東京大学の受験番号が発行されると、自分の番号が777番。

なんだかその時点で勝ったような気持ちになりつつ、2月、自由登校期間、登校するのがクラスで4人みたいな段階まで、自分は岐阜高校の先生を信じて、補習を受けていた。

そして2月末、2日間の受験。1日目最後の数学で、驚くことに、岐阜高校の補習期間に解いた問題と全く同じ問題が2問出題された。東大の数学は4問出題されて80点満点。合格者の平均点は20点台と聞いていた。その日自分は4問を完問。こんなことも起こり得るんだなという不思議な気持ちで、1日目を終えて井の頭線のホームに向かう。2日目も大崩れする事なく終了。

その後、高校の卒業式でみんなと顔を合わせた。どうだった?と聞かれるたびに、自分は「できた」と答えていた。

3月10日の合格発表。御茶ノ水駅で降りて、赤門まで15分くらい歩いて登っていく。なぜか寝坊してしまい、すでに不合格だった人はうなだれた表情で同じ道をくだってきていた。

キャンパスに入り、掲示の板が近づいてくる。人混みをかき分けて前に出る。そこに飛び込んできた「777」。あった。そして気づくと、アメフト部の人たちに胴上げされていた。

ただ、本来、東大だから何?ということであって、価値観が整理されていた父は、息子が東大に合格したからといって、何のリアクションも無かった。

一つ、自分の人生の学びは、無理だと決めつけないで、目指して見る事の大切さ。自分なんか東大に合格するような器じゃないと高校3年生の春までは決めつけていたんだけど、その固定観念を外したことで、成長できた気がした。

だから、合格体験記で目に飛び込んできたタイトル「男なら東大を目指せ」には感謝しているし、こうしてアウトプットする事が、誰かの何かになったらとも思い、ふと書いてみたのでした。