日曜の午前中、二子玉川に送り迎えの用事が出来て、そう言えば三島由紀夫の映画が上映中のはずと思い、109シネマズで鑑賞。

「三島由紀夫 vs 東大全共闘」50年目の真実

決してお互いに理解しえない左派と右派がどうやって討論するのだろう?Twitterで毎日いがみあってるような今の状況に対して、何らかの示唆があるものだろうか?

映画を観る前は、そんな興味を持っていた。

<以降、ネタバレを含みます>

いざ始まって、そういう設定だったんだ、と思わされたのが、

・学生が三島由紀夫に電話して持ち掛けた企画だった

・東大駒場の900番教室に1000人を超える全共闘メンバーが集まっていて、三島由紀夫はそこに一人で乗り込んだ、1 vs 1000 という構図

冒頭から、面白いじゃん、と。自分が何も予習をしてなかっただけだけど、つかみはOKな入り。

そして900番教室の入り口には討論会のポスターが貼られていて、「近代ゴリラ」と称された三島由紀夫のイラスト。そのポスターに対面して楽しそうに笑っている三島。

討論会を通底して流れているんだけど、知的なユーモア。監督のメッセージなのかもしれないが、そのメッセージが冒頭から頻繁にアイコンタクトをしてくる。

それが討論会始まってすぐの、司会の木村くんの発言。つい口が滑って三島の事を「三島先生」と言ってしまい、慌てて、「とはいえ今、先生と言ったのは、東大の教授よりも、よっぽど三島さんが先生と呼べるような事をしているからであり、、」のような全共闘のコンセプトに沿った言い訳のような事を言って取り繕っていたら、後ろで三島は本当に楽しそうに笑っている。

討論会で出てくる質問、テーマは、なるほどそういう事を議論したんだと。ある種想像しうる範囲の東大生っぽさ。
「他者の存在とは?」「自然とは?」「解放区」「天皇」
縛られた女性はエロティシズムであり
他者とは対立するものである

学生で三島にくってかかった芥くんは圧巻だった
そんなのオナニーじゃんと言って、最後には、もうつまんないから帰るわと笑

そして三島も全共闘にも共通の敵がいた
それは、あいまいで猥褻な日本

三島はメディアの使い方を知っていた
新潮社のカメラマンが教壇側から撮ったカット
政治の季節
粉砕ならぬ焚祭

70を過ぎても「全共闘は敗北しましたよね?」という問いを否定した木村修さん

こんな世の中ありえないだろう
その直感にピュアに行動した人たち

それ以上でもそれ以下でもないし
勝ち負けもない

その季節が終わったからといって
無くなるものではないのだろう

自分はそんな感じで解釈した映画だった。